IV

“total creative resource”の実現
1992(平成4)年〜2010(平成22)年

エレクトロニックデザイン、発進

1990年代になると、Macintoshなどのコンピュータを使ったデザインワークに対する世の中の関心がさらに高まった。当初は実用に足るレベルではなかったハード/ソフトも、日を追うごとに革命的な進化を遂げ、デザインのツールやワークフローがデジタルになる日ももう目前まで来ていた。

Tooは社内公募で決まったスローガン“total creative resource”を掲げ、いよいよMacintoshの取り扱いに本腰を入れた。“エレクトロニックデザイン”というキーワードを前面に出しながら積極的な情報発信を開始。Macintoshによる表現の検証や、広告・販促などを通じてその啓蒙活動を進めていった。

事業においては、ハード/ソフトの販売はもちろん、お客様それぞれに最適なシステムの提案、オリジナル機器の開発、ソフトの輸入・販売、出力サービス、教育、保守・サポート、情報提供など、デジタル時代のデザイナーの活動をあらゆる方面から支える体制づくりを進めた。その後もハード/ソフトは加速度的に進化し、Tooの役割も日増しに広がっていった。まもなくMacintoshはだれもが手軽に買えて、箱を開ければすぐに使える道具となっていく。この時期にいち早くデジタル分野での専門性と総合力を高めていったことが、今日に至るToo独自の存在感の礎になった。

春は『GAM』、秋は『Mac覧会』

開始から10年を超えた『GAM(グラフィック・アーツ・メッセージ)』は、東京・大阪・札幌・名古屋・福岡で開催し、年間に1万人を超えるクリエイターが集まるイベントへと成長していた。

名前の通り、メッセージ性の強い展示会であり、「Macintoshでデザイン表現はどう広がるか」というテーマを追い続けた。お客様にも感度の高い人が多く、デジタル導入の気運が高まる中、エレクトロニックデザインの最先端にふれられる場所として注目を浴びた。

1989年にはじまった『Mac覧会』もその姿勢を引き継ぎ、Macintoshに特化したイベントとして、最新のハード/ソフトの展示、著名クリエイターによるデモンストレーションやシンポジウムなど独自のプログラムに力を入れた。

時代を変えるソフトウェアを次々と紹介

1990年代の前半はソフトウェアの世界でも、[QuarkXPress]の日本語版が発売されたり、[Photoshop]がリリースされたりと大きなニュースが続いた。

Tooはいづみや時代の1991(平成3)年にグループ会社として『いづみやソフトウェア・インターナショナル株式会社』(現・『株式会社ソフトウェア・トゥー』)を設立。最先端のソフトウェアを提供する役割を担うようになった。そして、Quark社やAdobe Systems社の販売代理店として製品を市場に出していくとともに、“Macworld Expo”など米国の大規模な展示会にも足しげく通い、さまざまな分野のソフトウェアへと取扱商品を拡大。実用性や日本語対応の可否を検証したり、自社イベントでいち早くお客様に紹介したりしながら、これはというものは日本語化した。

1993(平成5)年には『株式会社フォント・トゥー』を設立。顧客ニーズに応え、バラエティに富んだ欧文フォントを用意するとともに、各社から個別に出ていた書体見本を一冊のフォント・カタログにまとめ、購入しやすい体勢を整え、クリエイターたちに提供していった。

“出力”に着目し、オリジナル機器を開発

技術の進化はデザイナーの作業フローに大きな変化をもたらした。その中で新たに生じたニーズが“出力”であった。

当時は、一枚の出力に何時間もかかったり、出たと思ったら文字化けしていたり、色が違っていたりと、現代ならクリック一つであっという間に終わることがままならない状況であった。

それでも出力が必要とされた理由の一つは、広告主へのプレゼンテーションのときなどに、作成したカンプをカラー印刷して持参したいというニーズが強いことであった。

その思いに応えるべく、いづみや時代の1990(平成2)年、Macintoshとカラーコピー機を連携させたカンプ出力用システム[SPERIAL]を開発・発売。1993(平成5)年にはPostScriptコントローラーのEFI社[Fiery]の販売も開始した。それまではコピーの切り貼りによってつくられることが多かったカンプだが、カラー複合機によるMacintoshのデータの出力が可能になったことで、実際の印刷イメージに近く、見映えもぐんとよいものが作成できるようになったのである。

SPEREAL

二つ目は、印刷入稿用のデータを印画紙やフィルムで出力したいという需要である。しかし、そのための機械ははなはだしく高価で、出力すること自体がハードルの高い工程であった。

そこで、1995(平成7)年、Tooは製版用のプリンターであるイメージセッター[ImageAxes]シリーズを開発した。印画紙・フィルムによる高解像度のデータ出力ができるもので、一台数千万円であったイメージセッターを5〜600万クラスで提供したことで、それまでは大規模な印刷会社でしか導入できなかった出力システムが、中小の印刷会社やデザイン会社でも導入できるようになった。こうして、従来のように写植屋に版下制作を依頼しなくても、カンプのデータをそのまま印刷入稿用データとして活用する環境が整っていったのである。

ImageAxes

そして、もう一つ、デジタル時代の作業フローを大きく変えたのが通信である。それまで、デザイナーはデータを入れたフロッピーディスクを印刷会社の営業担当者に手渡したり、バイク便で送ったりするのがつねであった。通信の普及後はモデム通信でもデータが送れるようになったが、大容量のデザイン・データの送信は現実的ではなかった。

そうしたストレスをなくすために、Tooは1992(平成4)年、通信用の[Too Net 11]を発売。ISDN回線でデータを送受信する仕組みで、従来のモデムによる方式の20倍以上の通信スピードを実現した。

Too Net 11

第三の概念“ユースウェア”の登場

このころ出てきたのが、ハードウェア、ソフトウェアに次ぐ第三の概念“ユースウェア”だ。

1991(平成3)年、いづみや(当時)は、Macやプリンタなどデジタル環境の設置・修理・保守・教育など一連のサービスをパッケージとして発売(現・[Too CARE])。高い技術力とサポート力が評価され、導入台数の多い大手企業などを中心に活用された。1996(平成8)年には、社内にコールセンターを設置し、電話によるカスタマーサポートも開始した。出力のニーズには、各地の[プレゼンハウス]が応えた。

また、[Illustrator]、[Photoshop]などの普及のために、デザイナー向けの教室事業も開始。1997(平成9)年には、DTP・Webデザインスクール『Desi(デジ)』と命名された。

これらさまざまな活動を通じ、クリエイターがデジタル時代にスムーズにシフトできるようサポートしたのである。

マルチメディアとインターネットの登場

パソコンの処理能力が向上すると、動画、映像、3DCGなどの新しいクリエイティブ表現が机上で容易に実現できるようになってきた。いわゆる“マルチメディア”の登場である。

この時期、CGや映像編集用の専用システムはきわめて高額だったため、導入していたのは放送局や工業系や建築デザイン系の大手企業などに限られた。

しかし、1995年にリリースされたWindows 95や、グラフィックボードの普及とともに、デジタルメディアの世界でダウンサイジングがはじまった。CGや映像の分野では、Autodesk社など各社から、価格が手ごろで、機能性も高いPC用のソフトがリリースされた。Tooはこの一連の流れの中で、放送局、映像制作会社、CG制作会社など、従来はなかった顧客層へとビジネスを広げるチャンスを得た。

同じく1990年代半ばに普及しはじめ、社会と人々の暮らしに大変化をもたらしたのが“インターネット”である。新たにプロバイダ業者や、インターネットを活用したコミュニケーションメディアなどが生まれていたこの市場で、Tooはオフィスのネットワーク構築のサポートや、Webデザイン用のソフトなどの取り扱いを開始。また、2000年には自社のオンラインショップ『Netshop.Too』をオープンした。

[CDfactory]

1995(平成7)年、TooはCD-ROMタイトル作成受注サービスを開始した。この頃CD-ROMドライブを搭載したパーソナルコンピュータが普及し始めたことから、雑誌の付録におまけデータが入ったCD-ROMが付いたり、会社案内や教材、商品カタログなど情報量の多い印刷物をCD-ROMにしたいという需要が高まった。

独立採算の意識づくりと経営のスピードアップのために

バブル経済の崩壊にはじまった1990年代だが、デジタル分野の急進を背景にTooの事業は拡大を続けていた。

この時期、さかんに進めたのが事業部制と分社化であった。目的の一つは、各部門・事業所・グループ会社をプロフィットセンターとすること、すなわち独立採算制を確立することである。

もう一つの目的は、経営のスピードアップだ。日々、進化するデジタル分野では、従来と同じ意思決定のプロセスを踏んでいてはビジネスチャンスを逃しかねない。独立した組織を作り、意思決定の速度を上げることで、効率的な市場開拓を実現することを目指したのである。そこには、榮一社長の「新しいことにどんどんトライする企業でありたい」という願いもこめられていた。

COLUMN

いづみやのスピリットを継承するトゥールズショップ

1999(平成11)年、Tooはデザイン材料・画材・教材・インダストリアルクレイ等を扱う会社として『株式会社トゥールズ』(現・『株式会社トゥーマーカープロダクツ トゥールズカンパニー』)を設立した。デジタル商材の増加とともに経営がスピードアップする中でも、デザイン材料をはじめとしたアナログ商材は、一定の時間軸の中で経営判断したり、育てたりしていくことが大切だと思われたからである。

かつてとは業態が大きく変わっても、画材店として生まれたいづみやのスピリットはいまもトゥールズの店頭や商品の中に継承されている。そして、店舗は一般のお客様と接する貴重な場でもある。

トゥールズのショップに「希望の美大に合格しました!」と報告に来てくださる10代のお客さまがいることや、現在はMacを使いこなすデザイン界のベテランが、学生時代にいづみやに通った思い出話をしてくださることがあるのも店舗ならではのことである。

情報化社会が進行、企業経営も転換の時代へ

世紀末、ミレニアム、Y2K問題といった流行語を生み出しながら、時代は2000年代へと移行した。国内では経済成長の低迷が続く一方で、PC・インターネット・携帯電話の普及による情報化社会が急激に進行、企業経営にも新たなアプローチが求められる時期が訪れていた。

ちょうどそんな時節にあった2002(平成14)年、Tooは世田谷区・桜新町に本社を移転した。事業部制・分社化による業容の拡大に伴い、数カ所に分散したオフィスを集約することで、社内のコミュニケーションの向上とコストの効率化を図ることが主な目的であった。

また、このころ、新たに世の中の注目を集めるようになっていたのが情報セキュリティで、とくに新製品情報など企業秘密に触れることの多い広告業界には重要な課題だと思われた。そこで、Tooは2005(平成17)年、情報セキュリティ規格“BS7799”に基づく“ISMS適合性評価制度”の認証を取得、2007(平成19)年には同認証を情報セキュリティマネジメントシステムの国際規格“ISO/IEC 27001”へと更新した。

お客様とともに

インダストリアルクレイの体験イベント

[インダストリアルクレイ]の扱いは、1960年代、アメリカからの輸入ではじまった。1981(昭和56)年に国産化に成功、その後はアメリカやヨーロッパに輸出するほどの製品に成長した。さらに近年は成長著しい中国やインドなどのアジア圏にも輸出、海外でのシェアを伸ばしている。

このクレイをはじめ、自動車デザイン分野に特化した商材を扱う専門会社として、2009(平成21)年に設立したのが、『株式会社トゥールズインターナショナル』だ。

オリジナル製品であるインダストリアルクレイやクレイモデリングフィルムの開発・製造のほか、自動車各社の若手デザイナー向けのワークショップやイベントの開催、学生向けのクレイモデル技能講習会/体験会などを開催し、新たな市場を開拓している。

COLUMN

珠玉のリゾート、ミルブルック

1993(平成5)年、大自然に恵まれたニュージーランドのクイーンズタウンで本格的なリゾート『Millbrook Resort(ミルブルックリゾート)』を創設した。発端は、1987(昭和62)年にその比類なき美しさと素晴らしい環境に榮一社長が惚れ込んだことで、榮一はその開発に情熱的に取り組んだ。

ミルブルックリゾートは「人がもっともクリエイティブになれる場所」をコンセプトに、世界中から訪れる人々に上質で心豊かなバケーションを提供する。広大な敷地には、ラグジュアリーなホテルのほかに、一流の会議室やイベント会場、スパ等多彩な施設を配備した。27ホールのゴルフコースは、ニュージーランドオープンをはじめ大きな大会の行われる、世界でも指折りのチャンピオンコースだ。

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